この記事では複素誘電率と複素透磁率の基礎知識について解説しています。
高周波における誘電率と透磁率
電子回路設計者にとって高周波回路は難しい印象を受けやすいです。その理由は直流や低周波信号と違って、寄生成分の影響を受けるためです。具体的には抵抗、コンデンサ、コイル、そしてそれらを繋ぐ配線やプリント基板そのものが、予期せぬ振る舞いを見せることがあります。
この予期せぬ振る舞いの根源には、電子部品やプリント基板を構成する材料の物理的な特性が深く関わっています。そのため高周波回路を真に理解するためには、この材料特性を理解することが不可欠となります。
材料特性の重要性
直流や低周波の回路ではプリント基板の配線を単純な導線として扱えましたが、信号の周波数が高くなるにつれて、伝送線路という一つの回路部品として考える必要が出てきます。伝送線路には特性インピーダンスという重要なパラメータがあり、信号の反射や品質を決定づける極めて重要な要素となります。特性インピーダンスの大きさは伝送線路の物理的な形状と絶縁材料の誘電率・透磁率によって決まります。
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図 マイクロストリップラインの特性インピーダンス
上図はプリント基板で最も一般的な伝送線路であるマイクロストリップラインの断面図です。信号とGNDの間に挟まれた絶縁体の比誘電率 εrが、特性インピーダンスを決定する重要な要素となります。つまり意図した通りの特性インピーダンスを持つ伝送線路を設計するためには、プリント基板材料の誘電率を正確に把握する必要があるということです。これが、回路設計者が材料特性を理解するべき根本的な理由です。
誘電率と透磁率
ここで誘電率と透磁率とはどのようなものか、改めて確認します。
誘電率とは
誘電率ε(イプシロン)は物質に電場をかけたときに、その内部にどれだけ電気的なエネルギーを蓄えることができるかを示す指標です。真空の誘電率 ε0 を基準として、その何倍であるかを示す比誘電率εrが一般的に用いられます。コンデンサの電極間に誘電率の高い物質を挟むと、より多くの電荷を蓄えられるようになるのはこのためです。理想的な世界では、この比誘電率は周波数に依存しない定数として扱われます。
透磁率とは
透磁率μ(ミュー)は物質が磁場中に置かれたときに、どれだけ磁化しやすいかを示す指標です。真空の透磁率 μ0 を基準とした比透磁率 μrが用いられます。コイルのコア材として透磁率の高い磁性体(フェライトなど)を入れると、より大きなインダクタンスが得られるのはこのためです。こちらも理想的な世界では定数として考えます。
複素数でみる材料特性
現実の材料は低周波での理想的な材料特性とは異なり、エネルギーを損失します。この損失という現象を表現するのが複素数です。そこで、ここでは複素数の必要性や複素数で表現された誘電率・透磁率の意味について見ていきます。
材料による損失とは
理想的なコンデンサに交流電圧をかけるとエネルギーを消費することなく、電荷の蓄積と放出を繰り返します。しかし現実のコンデンサでは、内部の誘電体がエネルギーの一部を熱として消費してしまいます。この理由は周波数が高くなるに従って、誘電体内部の電気双極子に遅れが生じるためです。
発生原理
誘電体に交流電場をかけると、材料内部のプラスとマイナスに分かれた分子(電気双極子)が電場の向きに合わせて首を振るように振動し、分子同士の摩擦や抵抗によって熱が発生します。これが誘電損失となります。そして周波数が高くなるほど、この首振り運動は激しくなり、電場の変化に追従しきれなくなります。その結果、エネルギー損失はさらに増大します。透磁率についても同様で、交流磁場による磁区の向きの変化が追従しきれなくなることで磁気損失が発生します。このように現実の材料は交流の電場や磁場に対して必ず何らかのエネルギー損失を伴い、それを回路モデルに組み込むための数学的なツールとしてに複素数が役立ちます。
複素誘電率と複素透磁率
材料の損失を表現するために、誘電率εrと透磁率μrを複素数に拡張します。これをそれぞれ複素比誘電率、複素比透磁率と呼び、アスタリスク(*)を付けてεr* 、μr*と表記します。複素数は実数部と虚数部の2つの要素で構成されるため、複素誘電率・複素透磁率は以下のように定義されます。
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ここで j は虚数単位 (j2=−1) です。
実数部(Real Part)
実数部はエネルギーの蓄積に作用する要素で、これまで比誘電率・比透磁率として扱ってきた部分にあたります。電場や磁場のエネルギーをどれだけ蓄えられるか、という理想的なコンデンサやインダクタとしての性能を表します。
虚数部(Imaginary Part)
虚数部はエネルギーの損失に作用する要素で、材料内部でどれだけエネルギーが熱として失われるか、という損失の度合いを表します。この虚数部は損失係数とも呼ばれ、値が大きいほどエネルギー損失が大きい材料であることを意味します。直感的には、理想的な振る舞いからのズレ(損失)を、実数軸とは別の軸(虚数軸)で表現する、と捉えると理解しやすいです。
損失正接(tanδ)
材料の損失の大きさを評価する上で、非常によく使われる指標が損失正接(loss tangent)、またはtanδ(タンデルタ)です。損失正接は、複素誘電率(または複素透磁率)の実部と虚部の比で定義され、蓄積されるエネルギーに対して、どれくらいのエネルギーが失われるかを割合で示しています。
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図 損失正接の概念
誘電正接 (Dielectric Loss Tangent):
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磁気損失正接 (Magnetic Loss Tangent):
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そのためtanδが小さいほど、エネルギー損失の小さい高性能な材料であると言えます。高周波回路用のプリント基板のデータシートには、比誘電率(Dk 、εr)と並んで、この損失正接 (Df 、 tanδ) が必ず記載されています。この2つの値をセットで見ることで、その材料が高周波信号に対してどのように振る舞うかを評価できます。
材料特性の周波数特性
複素誘電率・複素透磁率の導入によって材料の損失を定量的に扱えるようになりましたが、高周波回路にはさらに複雑にするもう一つの要因があります。それは材料特性が周波数によって変化するという点です。
周波数分散の影響
誘電損失は電気双極子の首振り運動が電場の変化に追従できなくなることで生じると説明しました。この追従できなくなる度合いは、当然ながら周波数に依存します。材料の誘電率や透磁率が周波数によって変化する現象を周波数分散(Frequency Dispersion)と呼びます。
低周波領域
低周波では電場の変化が緩やかなため、双極子は余裕をもって追従できます。そのため損失(虚数部εr”)は非常に小さくなります。
高周波領域
周波数が高くなって電場の変化が速くなると、双極子の動きが追いつかなくなってきます。この遅れが顕著になるにつれて、エネルギー損失(虚数部εr”)は増大していきます。
超高周波領域
さらに周波数が高くなって電場の変化が速くなりすぎると、双極子はもはやほとんど動けなくなります。すると損失は逆に減少し始め、電場を蓄える能力(実数部εr’)も低下していきます。
現実の周波数分散
現実の材料は様々なメカニズムの緩和や共振が組み合わさっているため、より複雑な周波数分散を示します。高周波回路を設計する際には、使用する周波数帯域で、材料の誘電率・透磁率がどのような値をとるのかを正確に把握することが極めて重要になります。
表皮効果の影響
信号を伝える導体も高周波では理想的な振る舞いをしません。高周波電流が導体を流れる際に発生する現象が表皮効果(Skin Effect)です。
表皮効果とは
図 導体の表皮効果
直流電流は導体の断面全体を均一に流れます。しかし交流電流が流れると、電流自身が作る磁場によって、導体内部に電流を妨げる向きの渦電流が発生します。この渦電流は中心部で最も強く、外側へ向かうほど弱くなり、結果として導体の表面近くに集中して電流が流れるようになります。そして周波数が高くなるほど、電流が流れる領域は導体の表面近くの薄い層(表皮)に限定されます。
表皮効果による損失
表皮効果によって電流が流れる実効的な断面積が減少し、導体の交流抵抗は直流抵抗に比べて著しく増大します。これが高周波回路で導体損失が増加する主な原因です。表皮深さδは周波数が高くなるほど浅くなるため、周波数が上がるにつれて導体損失は増大していきます。
電磁界シミュレータと材料モデル
高周波領域では材料の周波数分散や表皮効果など、考慮すべき物理現象が複雑に絡み合います。これらを正確に計算し、回路の振る舞いを予測するために強力なツールとして電磁界シミュレータを使用します。
電磁界シミュレータとは
電磁界シミュレータは、マクスウェル方程式に基づいて、プリント基板や部品周りの電磁場を数値的に計算するソフトウェアです。シミュレータ上で伝送線路やアンテナの特性を解析することで、試作前に性能を予測し、設計を最適化することができます。
材料モデルの重要性
シミュレーションの精度を決定づけるのが、入力データとなる材料特性です。もしプリント基板材料の比誘電率を4.4という定数とした場合、シミュレータはその材料がどの周波数でも常に比誘電率4.4であると仮定して計算を行います。しかし、現実材料の誘電率は周波数によって変化します。特に数GHzといった広帯域にわたる信号を扱う場合、周波数による誘電率の変化を無視すると、シミュレーション結果と実測値が大きく乖離する原因となります。
そこで必要になるのが材料モデルです。材料モデルは複素誘電率や複素透磁率の周波数分散を数式で表現したものです。電磁界シミュレータにこの材料モデルを適用することで、より現実に近い解析が可能になります。
代表的な材料モデル
材料の周波数分散を表現するためのモデルはいくつか存在しますが、ここでは代表的な3つを紹介します。
デバイモデル(Debye Model)
図 デバイモデルの周波数分散
デバイモデルは誘電体の電気双極子の遅れを記述するための、最も基本的なモデルです。比較的単純な一次の遅れ系で表現され、多くの誘電体の基本的な振る舞いをよく近似できます。複数のデバイモデルを組み合わせた多極デバイモデルや、分布を考慮した広帯域デバイモデルは、FR-4のような一般的なプリント基板材料の広帯域な特性を表現するためによく用いられます。
ローレンツモデル(Lorentz Model)
図 ローレンツモデルの周波数分散
ローレンツモデルは原子や分子レベルでの共振現象を記述するためのモデルです。特定の周波数で損失が鋭いピークを持つような共振型の吸収特性を表現するのに適しており、特定の周波数帯のノイズを吸収する電波吸収体や、磁性材料の磁気共鳴を表現するために使用されています。
ドルーデモデル(Drude Model)
図 ドルーデモデルの周波数分散
ドルーデモデルは金属中の自由電子の振る舞いを記述するための古典的なモデルです。ガスのように振る舞う自由電子が、外部から加わった電場によって加速される一方で、物質を構成するイオンとの衝突によって抵抗を受ける、という運動をモデル化します。金属材料の高周波特性(導電率の周波数依存性など)の精密なモデリング、特にテラヘルツ帯や光周波数帯での金属の挙動を解析したり、メタマテリアルと呼ばれる人工物質の設計に利用されたりします。
材料モデルの選択
材料モデルの選択にあたっては、シミュレーションの目的とそれに必要な情報を精査することが大切です。闇雲に複雑なモデルを使うのではなく、設計上クリティカルとなる現象を再現できるモデルを選択することが重要です。そのうえで以下の指針を参考としてください。
材料メーカーのデータシート
近年では、高周波用途の材料メーカーが、自社製品の材料モデル(デバイモデルのパラメータなど)をシミュレータ用に提供している場合があります。これは最も信頼性の高い情報源となり得ます。
材料の種類
プリント基板の場合、広帯域にわたって比較的緩やかに特性が変化するためデバイモデルが適しています。
フェライトなどの磁性材料は磁気共鳴による損失が支配的となるため、特定の周波数範囲でローレンツモデルに近い振る舞いをします。また電波吸収シートも特定の周波数を狙って吸収するように設計されているため、ローレンツモデルやその組み合わせで表現されることが多いです。
銅、金、銀などの金属材料は、標準的な導体損失(表皮効果)の計算で十分な場合が多いですが、光周波数帯や特殊な材料の応答を精密に解析したい場合はドルーデモデルを検討します。
高周波回路設計における材料選定の勘所
ここでは材料特性の知識の活用として、高周波での部品選定や回路設計における注意点について取り上げます。
プリント基板の材料選定
高周波回路の性能は、プリント基板の材料特性によって大きく変化します。汎用的なFR-4などの材料のデータシートには、比誘電率 (Dk、εr’)、損失正接 (Df、 tanδ) の値が「at 1MHz」や「at 1GHz」のように、特定の単一周波数における値しか記載されていないことほとんどです。
例えば、Dk=4.4 (at 1GHz) と書かれていても、5GHzや10GHzではその値が4.2や4.0に低下している可能性があります。この変化を知らずに1GHzの値を元に10GHzの回路を設計すると、特性インピーダンスがずれてしまい、深刻な反射問題を引き起こす可能性があります。そのため高速・高周波回路を設計する際には、可能な限り周波数特性を入手できるよう務めることが大切です。信頼できる材料メーカーは、複数の周波数ポイントにおけるDk, Dfの値や、グラフを提供しています。
銅箔の選定
表皮効果による導体損失は、プリント基板の銅箔の状態でさらに悪化する可能性があります。それが表面粗さ(Surface Roughness)の影響です。
プリント基板の銅箔は絶縁体との密着性を高めるために、意図的に表面がザラザラに処理されています。高周波電流は表皮効果によってこのザラザラした表面に沿って流れるため、平滑な表面を流れる場合に比べて実質的な経路長が長くなります。これによって導体の実効抵抗が増加し、導体損失がさらに増大します。この影響は、信号の波長が短くなるミリ波帯(数十GHz以上)で特に顕著になります。そのため超高周波回路の設計では、圧延銅やロープロファイル銅箔などの採用も視野に入れます。
ノイズ対策部品の選定
フェライトビーズなどのノイズ対策部品は、複素透磁率の周波数特性を巧みに利用した電子部品です。これらの部品のデータシートには、通常、インピーダンスZ、抵抗成分R、リアクタンス成分Xの周波数特性グラフが記載されており、これはまさに複素透磁率の振る舞いを反映しています。
図 フェライトビーズの複素インピーダンス特性
低周波領域ではリアクタンス成分Xが支配的です。これはインダクタとしての性質、エネルギーを蓄えるμr’の効果が強いことを意味します。高周波領域: 抵抗成分Rが支配的になります。これは磁気損失、エネルギーを熱に変える μr”の効果が大きくなることを意味します。この領域で、フェライトビーズはノイズエネルギーを熱に変換して吸収するノイズ抑制部品として機能します。
ノイズ対策部品を選定する際には、対策したいノイズの周波数帯で、抵抗成分Rが十分に大きくなっているかを確認することが重要です。単にインピーダンスZの値が大きいというだけで選ぶのではなく、その内訳がリアクタンスXなのか抵抗Rなのかを見極める必要があります。ノイズを反射させるのではなく、熱として消滅させたい場合は、R成分が大きい部品を選ぶのが定石です。
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