スペクトラムアナライザ入門(5)トレース機能と演算活用

 

■はじめに
スペクトラムアナライザでは、ただ信号を表示するだけでなく、測定結果を「保持」「比較」「加工」するためのトレース機能や演算処理が充実しています。これらを活用することで、一時的な信号や微小な変動を見逃さず、より高度な解析や効率的な記録が可能になります。今回は、トレース機能と基本的な演算機能について詳しく解説します。

 

■トレースとは?
トレースとは、スペアナに表示される信号波形そのものを指します。通常は1画面に1本の波形が表示されますが、多くの機種では2本〜3本以上のトレースを同時に扱うことができます。

・ Tr1:現在の測定結果を表示する基本トレース
・ Tr2やTr3:別の測定条件、保持波形、演算結果などを重ねて表示可能
・ トレース同士の演算や比較も可能(例:Tr1 − Tr2)

複数トレースを使うことで、時系列比較や条件変更の影響を一目で確認できます。

 

■基本トレースモード(Trace Type)
トレースにはいくつかの動作モードがあり、用途に応じて選択できます。

・ Clear Write(クリア書き込み)
  毎回新たな波形に上書きされる通常モード。リアルタイムに最新波形を確認できる。

・ Max Hold(最大値保持)
  表示中の最大値を常に保持するモード。短時間しか現れないスプリアスやパルス信号の観測に有効。

・ Min Hold(最小値保持)
  最低値を記録するモード。ノイズ底面の観察やスイッチングノイズの評価に使用。

・ Average(平均化)
  一定回数分の測定値を平均して表示。ランダムノイズを平滑化し、信号成分を際立たせるのに有効。

これらはトレースごとに個別設定ができるため、同じ信号でも異なる表示で同時比較が可能です。

 

■トレースの保持と比較
トレースの保持は、次のような用途で非常に便利です。

・ 条件変更前後での波形比較
・ 時間経過による信号の変動確認
・ 設計修正前後の特性確認(例:フィルタ変更後のスプリアスの違い)

保持したトレースに対して新しいトレースを重ねて表示することで、差異が視覚的に明確になります。

 

■トレース演算の種類
多くのスペアナでは、複数のトレースを使って演算ができます。

・ A − B(差分):信号の変化量やフィルタ前後の減衰量を可視化
・ A ÷ B(比率):正規化、相対レベル表示などに使用
・ A × K(スケーリング):ゲインや係数補正など

特にベクトルスペアナやFFTアナライザでは、複雑な演算も可能で、伝達関数の測定やネットワーク解析にも応用されています。

 

■ノイズ測定への応用
ノイズの測定では、ノイズフロアと目的信号の差分を取ることで、S/N比(信号対雑音比)を定量評価できます。

・ まず信号のない状態でノイズのみをTr1に記録
・ 次に信号ON状態をTr2に記録
・ Tr2 − Tr1を演算表示して、信号成分のみを抽出・確認

このようにノイズを基準とした相対評価にトレース演算が活躍します。

 

■パルスや一時信号の保持
測定中に一瞬だけ現れる信号を捕捉したい場合、トレースモードを「Max Hold」に設定します。

・ 一時的なスプリアスや過渡現象の捕捉
・ 一定間隔で発生するパルス波形の最大振幅記録
・ 連続スイープ中に変動する信号の「最大包絡線」表示

長時間表示させておくことで、どこかで現れる信号も取り逃がしません。

 

■マーカとの連携
トレース機能とマーカを組み合わせることで、解析精度をさらに高められます。

・ 保持したトレース上にマーカを置いて、ピーク位置を記録
・ 複数トレースにそれぞれマーカを置き、周波数差やレベル差を測定
・ Averageトレースでの中心周波数評価などにも活用可能

マーカとトレースを組み合わせることで、測定値を定量的に管理しやすくなります。

 

■トレース保存とレポート活用
多くのスペアナでは、トレース波形をファイルとして保存する機能があります。

・ CSV形式で数値データを保存し、Excelなどでグラフ化や比較が可能
・ 画像形式(PNG、BMPなど)でスクリーンショット保存
・ 印刷用レポートに直接貼り付けることで、測定証拠として活用可能

品質管理や報告書作成にもトレース保存は必須機能です。

 

■リアルタイムスペアナでの応用(補足)
リアルタイム処理が可能なスペアナでは、トレース演算がさらに高度になります。

・ スペクトログラム表示(時間 vs 周波数 vs レベル)
・ デンシティ表示(出現頻度を色で可視化)
・ 自動トリガによるトレース記録開始/停止

一瞬の信号を逃さず解析できることから、無線干渉やEMC対策でも活用が進んでいます。

 

■まとめ
トレース機能と演算処理は、スペクトラムアナライザの可能性を大きく広げてくれる強力な機能です。信号をただ「見る」だけでなく、「比べて」「残して」「分析する」ことができるため、より深い洞察と高精度な測定が可能になります。

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スペクトラムアナライザ入門 全9回 目次

第1回 スペクトラムアナライザとは?
スペアナの基本原理、周波数軸で見るという考え方、オシロスコープとの違いなどをやさしく解説。

第2回 基本構成と動作原理
RF入力からディスプレイ表示まで、ミキサ・フィルタ・LO・検波など内部構成要素の基本を整理。

第3回 測定パラメータと操作項目
中心周波数、スパン、分解能帯域幅(RBW)、ビデオ帯域幅(VBW)など、主要な設定の意味と使い方。

第4回 代表的な測定と読み取り例
信号強度、周波数、ノイズフロア、隣接チャネル干渉など、基本的な測定手順と結果の見方を具体的に紹介。

第5回 トレース機能と演算活用
最大値保持、平均化、ピークホールド、マーカ、演算トレースなど、表示の工夫と測定効率化のポイント。

第6回 実際のアプリケーション例
通信機器の信号観測、不要輻射の確認、RFアンプの特性評価、パワー測定など、実際の活用事例を紹介。

第7回 高調波・スプリアス・EMI対策への活用
ノイズ源の特定、高調波成分の可視化、EMC予備測定などへの活用例と注意点を解説。

第8回 トラブル事例とその対策
周波数ずれ、レベル不一致、感度不足など、現場で起きやすいトラブルとその原因・対策を具体的に解説。

第9回 発展的な使い方と技術動向
リアルタイムスペアナやベクトル解析機能の概要、FFT方式との比較、最新のスペアナ事情を紹介。